70年あまりの歴史をもつ岡谷市医師会は、大きく変化する時代の中で市民とともに生きてきました。前身である「三六会」からの医師会設立、戦時中の救護活動、新生医師会の誕生、そして看護学院の創立など、岡谷市の医療を支えてきた歴史をご紹介します。
明治31年には諏訪の地方には52名の医師がいて、今の岡谷と呼ばれている平野村には4名、湊村には2名、川岸村には1名の医師がいました。明治39年に内務省より医師会規則というものが公布されて、「諏訪郡医師会」が設立されました。その後医師はだんだんと増え、明治43年には平野村12名、川岸村11名、湊村3名の医師がいました。
諏訪郡医師会はそれぞれの地区で親睦の団体が作られ、岡谷地区には「三六会」がありました。結成は明治30年代で、「毎月3日の午後6時」より例会を開会したことから名づけられたそうです。大正3年5月の調査では会員数は28名で、この中には歯料医師も含まれていましたが、大正11年10月に歯料医師はのぞかれ、昭和8年5月からは三六医会と名称を変えました。大正14年からは、当時の警察署の一室を借り、看護婦・産婆講習会を行い看護婦・産婆の育成も行っていたようです。三六医会は、昭和11年に岡谷医師会が結成された後も存続していたそうですが、昭和22年に新医師会が再編された後に自然消滅したようです。
明治31年には諏訪の地方には52名の医師がいて、今の岡谷と呼ばれている平野村には4名、湊村には2名、川岸村には1名の医師がいました。明治39年に内務省より医師会規則というものが公布されて、「諏訪郡医師会」が設立されました。その後医師はだんだんと増え、明治43年には平野村12名、川岸村11名、湊村3名の医師がいました。
諏訪郡医師会はそれぞれの地区で親睦の団体が作られ、岡谷地区には「三六会」がありました。結成は明治30年代で、「毎月3日の午後6時」より例会を開会したことから名づけられたそうです。大正3年5月の調査では会員数は28名で、この中には歯料医師も含まれていましたが、大正11年10月に歯料医師はのぞかれ、昭和8年5月からは三六医会と名称を変えました。大正14年からは、当時の警察署の一室を借り、看護婦・産婆講習会を行い看護婦・産婆の育成も行っていたようです。三六医会は、昭和11年に岡谷医師会が結成された後も存続していたそうですが、昭和22年に新医師会が再編された後に自然消滅したようです。
昭和11年4月1日に平野村は岡谷市となりました。これにともない、旧平野村の医師は、岡谷市医師会を設立して諏訪郡医師会から独立しました。このときには川岸村、湊村の医師は諏訪郡医師会に残りました。
誕生後に間もなく行われた最初の大事業は、医師会館の建設でした。役員をはじめ会員が一丸となって、いろいろな問題を手際よく解決して、昭和12年9月16日落成しました。建設場所は現在地(当時の住所表示では岡谷市上浜区5380番地の1)で、建設費は、総額当時の金で3570円9銭だったそうです。
昭和16年12月8月、太平洋戦争がはじまり、国は挙げて戦時色一色となりました。こうした中で、国民医療法が制定され、県下の地区医師会はすべて長野県医師会の支部となることになり、昭和18年1月、岡谷市医師会も長野県医師会岡谷支部となりました。
昭和20年3月の東京大空襲には、長野県医師会長の命令により、当時の笠原支部長がみずから班長として救譲班を編成して被災地で救護活動を行っています。
昭和22年7月22日、戦時中の国民医療法にもとづく県医師会岡谷支部は解散して、岡谷市医師会が再び設立され、同年11月1日長野県知事より社団法人の認可を受けました。この際、郡医師会に属していた川岸村・湊村の医師も岡谷市医師会に加入したので、三六医会の会員はすべて岡谷市医師会の会員となりました。この時の会員数は41名だったようです。
戦後数年たって世の中も安定するにつれて、会員相互間の親睦がはかられるようになり野球大会や、会員・家族・従業員の日帰り旅行が行なわれるようになりました。
戦前から行なわれていた看護婦講習会は昭和27年を最後に廃止されて、 昭和33年5月 付属准看護学院第1期生卒業式 新たに保健婦助産婦看護婦法により、県下数ケ所の医師会に准看護婦の養成所ができました。隣の諏訪市医師会にも附属准看護学院が設立されて、岡谷市の医師会員は諏訪市医師会附属准看護学院に准看護婦の養成を託していました。しかし、いろいろと 不都合が生じたため、会員間から自分たちの手で准看護婦を養成しようという気運がもり上り、当時の笠原会長が中心となって運動した結果、いろいろな方の理解と協力を得ることができて、昭和31年5月岡谷市医師会附属准看護学院が開校し、9月には県知事の認可もおりて発足しました。初代学院長には、笠原亀之助氏が就任しました。
昭和 28年 1953年 | 第4回南信医学会開催(岡谷病院講堂) |
32年 1957年 |
第8回長野県医学会開催(岡谷市役所市議会場)
学術講演会主催開始 |
34年 1959年 |
第10回南信医学会開催(岡谷病院講堂)
県下に先駆けてガンおよび高血圧相談所を開始 |
37年 1962年 |
成人病講演展示会開催(岡谷市民会館)
永年勤続従業員の表彰開始 岡谷市医師会、岡谷下諏訪歯科医師会、岡谷下諏訪薬剤師会の会員をその構成員とした地区三師会設立 |
38年 1963年 |
日本医師会医学講座開講
「岡谷医師会史」上梓、配布 |
39年 1964年 | 第8回長野県学校保険学会開催 |
41年 1966年 | 第1回医師会・学院合同大運動会開催(10月30日, 岡谷小校庭) |
45年 1970年 |
症例検討会開始
休日緊急当番医制実施 |
46年 1971年 | 岡谷市医師会会員互助会規程制定 |
47年 1972年 | 県下のトップをきって岡谷市包括医療推進協議会設立 |
49年 1973年 | 会館補強改装工事 |
50年 1974年 | 岡谷市医師会労働保険事業組合業務開始 |
51年 1975年 |
諏訪地区五大病院当直表作成開始(本会の提唱)
三師会合同新年会開始(本会の発案) 医療機関適正配置委員会規則制定 第27回長野県医学会開催(10月24日, 諏訪湖ハイツ) |
52年 1976年 |
岡谷市医師会報創刊(5月)
第28回南信医学会開催(11月28日, ホテル岡谷) |
55年 1980年 | 会館補強改装工事 |
56年 1981年 |
夜間緊急医療体制発足
岡谷市医師会物故会員追善法要(9月19日, 照光寺) |
58年 1983年 | 第34回南信医学会開催(11月27日, ホテル岡谷) |
59年 1984年 | 岡谷市医師会定款改訂 |
60年 1985年 |
第17回長野県医師会囲碁大会開催
医師会館の老朽化のため、建て替えを前提に「会館建設研究委員会」発足。 |
61年 1986年 |
学童集団心臓検診を始める
岡谷市医師会設立50周年、附属准看護学院創立30周年記念式典、学院歌(林裕平作詞、小口喜久雄作曲)制定発表会(9月21日, ロジュワールパレスオークニ) 岡谷市医師会物故会員追善法要(9月21日, 照光寺) 「医師会館(学院校舎)建築専門委員会」発足。 |
62年 1987年 |
第13回長野県産業医学大会開催。(1月31日, ホテル岡谷)
医師会館(学院校舎)改築工事着工(7月) |
63年 1988年 | 医師会館(学院校舎)竣工式(2月28日) |
平成 元年 1989年 | 第40回南信医学会開催(10月21日, ロジュワールパレスオークニ) |
3年 1991年 |
長野県医師会健康のつどい開催(9月7,8日, 市民会館)
岡谷市医師会物故会員追善法要(11月17日, 照光寺) |
5年 1993年 |
第25回長野県医師会囲碁大会開催 (3月14日, ホテル岡谷)
県医師会主催大腸集団検診読影研修会 (8月21日, 岡谷医師会館) |
7年 1995年 | 第46回南信医学会開催 (10月14日, ホテル岡谷) |
8年 1996年 |
市報の「健康ひと口メモ」掲載222回となり、県知事から保険衛生功労により、岡谷市医師会が表彰(9月1日)
岡谷市医師会物故会員追善法要(10月20日, 照光寺) |
11年 1999年 | 介護保険制度準備のため、本会会員多数が、要介護認定審査会委員となる |
12年 2000年 | 介護保険制度開始(4月1日) |
13年 2001年 |
第52回南信医学会開催(10月13日,ホテル岡谷)
岡谷市医師会物故会員追善法要(10月20日, 照光寺) |
14年 2002年 |
岡谷市医師会ホームページ開設
岡谷市医師会報第100号発行 |
15年 2003年 | 第34回長野県医師会麻雀大開催(11月9日, ホテル岡谷) |
16年 2004年 |
岡谷市医師会員による絵画・写真展(10月2-3日, 笠原書店ギャラリーあすなろ)
第55回長野県医学会開催(11月28日, 浜の湯) |
17年 2005年 | 諏訪地区小児救急検討会発足 |
18年 2006年 |
岡谷・塩嶺病院の経営統合始まる(4月1日)
豪雨により岡谷市湊・川岸地区に土砂崩れが発生し(7月19日)、医師会員が避難所巡回と健康相談を行う 第57回南信医学会開催(10月14日, ホテル岡谷) 医師会創立70周年・附属准看護学院創立50周年記念式典開催(10月28日,ジョイントプラザマリオ) |
19年 2007年 | 諏訪地区小児夜間急病センターが諏訪市四賀に開設(6月1日~) |
20年 2008年 | 休日当番医制度が岡谷市・下諏訪町共同で実施 |
21年 2009年 |
第2回医師会美術展(1月17-18日,笠原書店ギャラリーあすなろ)
岡谷市夜間成人急病センターが市立岡谷病院に開設(6月1日~) 小児を対象とした『岡谷市新型インフルエンザ集団接種』を行う(12月13日~'10年2月13日,ララオカヤ) |
22年 2010年 | 市立岡谷病院と岡谷塩嶺病院が施設集約を行い、新体制での診療を開始(4月1日~) |
25年 2015年 | 岡谷市民病院、岡谷塩嶺病院が施設統合を行い、新病院での診療開始(10月14日~) |
岡谷市医師会(戦前) | 初代会長 | 花岡 一正 | 1936年4月~1941年3月 |
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二代会長 | 中谷 章一郎 | 1941年4月~1943年1月 | |
県医師会岡谷支部 | 初代支部長 | 中谷 章一郎 | 1943年1月~1945年12月 |
二代支部長 | 笠原 亀乃助 | 1945年12月~1947年7月 | |
岡谷市医師会 | 初代会長 | 笠原 亀乃助 | 1947年7月~1947年9月 |
二代会長 | 田中 実 | 1947年10月~1949年3月 | |
三代会長 | 笠原 亀乃助 | 1949年4月~1956年3月 | |
四代会長 | 翠川 磐 | 1956年4月~1970年3月 | |
五代会長 | 益田 兼清 | 1970年4月~1973年12月 | |
六代会長 | 平林 三之助 | 1974年4月~1976年3月 | |
七代会長 | 市川 英一 | 1976年4月~1984年3月 | |
八代会長 | 矢嶋 國孝 | 1984年4月~1992年3月 | |
九代会長 | 向山 弘茂 | 1992年4月~1998年3月 | |
十代会長 | 林 正幸 | 1998年4月~2006年3月 | |
十一代会長 | 辛 京碩 | 2006年4月~2011年6月 | |
十二代会長 | 小口 直彦 | 2011年6月~2015年10月 | |
十三代会長 | 山田 雄三 | 2015年10月~2019年3月 | |
十四代会長 | 今井 智彦 | 2019年4月~ |